ミドリ
#なんでも
漫画家の高階良子さんが描いた自伝的漫画「七十年目のペンと毒」、ご興味があったら読んでみてください。 毒親の理屈はみんな同じ。 自分自身の自尊心の低さや不満などの問題に気づくことは絶対になく、 何もかも目の前の子供のせいにする。 子供は100パーセント親に依存するしかないし、生まれながらに親を憎む子はいない。 黙っていたって子は親を好いてついてくる。そして非力なうえ、外に訴え出る知識もない。 家の中で何をしようが、親自身の醜さや悪辣さは決して外にバレることはないと思ってる。 そして生活力がないがために、子供は何をされても家にい続けるしかない。 さらに暴力で自尊心を奪ってしまえば、自立すらできなくなる。 だから、いつまでも親のそばにいる。 「毒親」は子供を鬱陶しいと思いながらも、目の前からいなくなることを恐れている。 子供に見限られるのが怖いから。本当に自立心がないのは「毒親」のほう。 だから、暴言や暴力で子供をコントロールして自分の支配下にしばりつけようとする。 そうすることでしか自分の「力」=「自信」を確認できないから。 八つ当たりやイライラ・不満のはけ口にするのに、こんなにも都合のよい存在はいない。 不条理な言葉で怒鳴るのも暴力を振るうのも、みんな「この子」のせい。 「この子」が生まれつきおかしいから、「この子」が変な子だから、「この子」がバカだから、 「この子」が(正しい)私に似ていないから・・・・・云々。 暴言を叩きつけるのも暴力を振るうのも、「この子」が悪いから、「この子」の将来のためだから、「私」が悪いわけじゃない、全て「この子」のせいであり、「この子」のためだから。 そうして歪んだ論理を勝手に作り上げて、それを正しいと思い込む。 「毒親」の多くが自分は献身的な良い親だと思っているそうです。 それを知ったときは「嘘でしょ?!」と思ったけど、子供の頃から見てきた母を考えるに、十分に納得できる。 全て自分の頭の中で勝手に作り上げた理屈にもとづく認識で、どこまでも子供の気持ちにはなろうとしない。 体を叩かれる、つねりあげられる、ものを投げつけられる痛みも悲しさも、 理解して欲しい人に理解してもらえない情けなさも、 絶対に我が事として理解できない。 それどころか、身勝手な自分の感情を「なんでママの気持ちがわからないのよ!」と押し付けてくるだけなのが「毒親」。 それほどに自分自身に向き合いたくない弱者であり身勝手な人間、それが「毒親」。 拷問でもなんでも、人を痛めつける方法というのは、その人自身が最もされて嫌なことだそうです。 だから、母親が「あんたなんか」と怒鳴りつけるとき、実は母親は自分自身に対して「私なんか」と言っているも同然だということ。 歪んでいるのは子供でなく、親なのです。 私の親は、高階良子さんの母親に2割ほど水を足したくらいの毒親でした。 いつもいつもというわけではなく、母が「荒れた」時は、まさにあんな感じ。 私の父は見て見ぬフリしてた共犯者。 子供心にも、私に対して、というより、ヘタに口出しして母から火の粉がふりかかるのを避けてるんだと分かってた。 そして、母をこんなふうにヒステリックにする私の存在を疎ましく感じているのだと分かってた。 客観的に母の怒鳴り声や暴力を見聞きしていれば、非は私ではなく母にあることは、父には絶対にわかってたはず。 子供はバカじゃない。語るべき言葉をまだ持たないだけ。 言葉で何もかもごまかし、自分に都合よく事実を捻じ曲げてしまう大人の数倍、何もかも敏感に感じ取ってる。 だから「毒親」に育てられた「子供」は、自分が受けた不条理な感情的暴力をどうにか理解しようとするがゆえに、どの子も「賢く」ならざるを得ないのです。 その「賢さ」は、生きていく上で有利になることもあるけれど、多くの場合は足枷になる、苦しみの元になる。 高階良子さんのように、サスペンス&ミステリーの女王とまで言われる漫画家になれるのは、ほんの一握り。 苦しみから何か有益なものを生み出そうと、私も必死に毎日を生き続けています。