アメリカのフィットネススクール卒業生
#なんでも
離婚することに決めているのなら DV被害者対象の母子寮みたいなところに避難して 速やかに静かで落ち着ける環境に移る方が 受験勉強する上でも得策かと。 それが出来る状況ではないのかな? nigerunoにも役立つ情報が沢山あるので 使えるものは使い倒しましょう。 あと、離婚話でお父様が逆上して 暴力沙汰にならないかが心配。 (特に、過去に暴力の前科があるので) お父様が不在のときに、さっと鮮やかに消えて連絡を絶ち 離婚成立までのやり取りは第三者(弁護士さん?)を介する という手順が一番安心と思いますけどね…。 情報収集→綿密な計画→確実な実行 で上手く乗り切れるよう祈ってます。 その他各論: ◆「自己肯定感」 マズローの欲求5段階のうち 低位の「安全の欲求」が脅かされている状態で 自己肯定感を持とうと思っても無理がある。 まずは安全確保。 ◆「うまく人と話せない」 全くあなたのせいではなく、仕方がない。 「うまく話す」というスキルの習得は 安心して言いたいことが言える環境で 発言→フィードバック→修正、調整、強化→発言→(以下ループ) この繰り返しで身につくもの。 お父様という脅威が立ちはだかり 家庭内での言論の自由が担保されていなかったのだから あなたがうまく話すスキルを磨けなくても無理はない。 ただ、うまく話すことはできなくても 言語化が上手なことは、投稿を読めば分かる。 それは強みだから、自信持って! ◆「友達を作ることを諦める」 賢明な選択。 「この人たちと一緒にいるくらいなら、1人の方がマシ」 という人間関係が圧倒的に多いのが現実だから。 少なくとも、「陰口が酷い」ような連中は、友の名に値しない。 妥協は不要。 仏陀も言ってます。 犀の角のようにただ独り歩め、と。 『学識豊かで真理をわきまえ、高邁、明敏な友と交われ。 いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め』 人間不信上等。 あなたの状況で人間不信にならない方がどうかしている。 人間不信にも段階があって 中途半端な人間不信は苦しい。 人間不信を極めると、逆に朗らかに生きられる。 誰にも何も期待しない→誰のどんな反応も怖くない→誰に対しても何でも言える→言おうと思えば何でも言えるから、今言わなくてもいいなという謎の余裕が生まれる→心のゆとりで朗らかになるという不思議なポジティブスパイラル。 ◆「人 の気持ちが分からない」 この気付きは重要。 人の気持ちが分からない人、一定数存在する。 こういう人のことは、諦めるの一択。 苛めでも毒親でも、 ① 状況を打開したい ② 相手に自分の辛さを分かって欲しい この2つとも実現しようとして、 「二兎を追う者は一兎をも得ず」 に陥る人が非常に多い。 「② 分かって欲しい」は潔く諦めて、①だけで良しとする。 なぜか。 まさに、「人の気持ちが分からない」相手だから。 道端の電柱に向かって、 「私の辛さを分かってよ!」 と喚く人は、結構ヤバい。 だけど、「人の気持ちが分からない人」に向かって 自分の辛さを分かって欲しいと期待することも ヤバさは同じレベル。 「分かってもらう」ことに拘るから 有害な人間とダラダラと関わり続けて 被害を悪化させることになる。 諦めることを学ぶべき。 ◆「無駄な悩みかな?...自分が素直になればいいだけ?」 先方の一方的な人権侵害なので、自分が素直になれば…などと 自分にさらに負荷をかける方向で考えなくていい。 許さなくていいし、信用しなくていい。 怖くて当たり前。 物理的に完全に離れて何十年か経ったとき。 人によっては、許せるかもしれない。 完全に忘れているかもしれない。 仲直りさえできるかもしれない。 でも、それは、人によるし、状況によるし 一定の時間が経過してみないと、どうなるかは誰にも分からないこと。 今は、 「怖い。信用できない」 という自分の正直な気持ちを尊重するべき。 相手があなたの気持ちを尊重してくれない中 あなたまであなたの気持ちを尊重しなかったら あなたの気持ちが蔑ろにされ過ぎで、あまりにもお気の毒。 「自分の気持ち」を他人の気持ちより軽く扱ってはいけない。 「自分の気持ち」を安売りしてはいけない。 生活破壊者から自由になった解放感。 これは、一生の間に二度とは味わえないくらいの巨大な幸せ。 うまく立ち回ってゲットしよう!
