とくめい
#なんでも
去年「反社会的な傾向がある」と診断された。 18以下は「反社会性パーソナリティ障害」と診断はされない(俗に言うサイコパス)。 精神科の先生、こっそり言ってくれた。 「私の特性上、反社会性パーソナリティ障害として割り切った方が楽だ。「傾向がある」と認識しなくていい。「自分には障害がある」そう認識しなさい」と。 当人以外が見れば先生の発言はよく映らない。 世間は後ろ指差すだろう。 「患者に自分は障害なんだと再認識させるなんてetc…」って。 でもね、先生。私は凄く嬉しかった。 合理的な性格上、「傾向」なんて曖昧なラベリング、思考のノイズになるんだ。 障害と言い切ってしまえば、課題点、性質etc… 重要な点が浮き彫りになる。 それさえ分かれば気をつけるべきことが明確にわかる。コントロールしやすい。 患者にこっそり伝えるの、かなりリスキーなはず。 なのに先生は伝えてくれた。 すごいなぁって思うんだ。 批判される可能性があるのに。赤の他人なのに。 そこまでするんだ。と、 でもね、嫌悪も覚えた。 そんな事したらクビになる可能性がある。 なんて合理的でないのだろう。 診断だけすれば金は入るのだから、労力は最小限に抑えればいいのに。 非合理への嫌悪。 外用の私は先生のこと好き。 中の私は嫌いと叫ぶ。 外用の私も、心の底から好きな訳じゃない。 世間からは「いい先生」に該当するから好き。 そして、一種の物差しとして利用できるから好き。 別に利用は悪じゃない、嫌うのも悪じゃない。 外に出さなければ問題は無い。 でも、この考えが明るみになった時。どうなるだろうか。 バッシング自体は問題ない。 ただ、批判によって対人的なやり取り、生活に支障が出ては困る。 気持ちを汲み取れないから復旧も困難。 演技をしようにも心根を知られている。 明るみになった時、その後の対処を考えるとなんだか先が思いやられる。 色んな可能性を考えるが故に悩みが尽きない。 脳が疲れてるんだ。いつも。 でも思考は辞めない。 思考の停止など私にとっては死活問題だから。 私にとったの他者からの評価とはこの肉体が生きるために重要な点。 悪口言われようが気にしない。生活に支障がないなら。 だから全員嫌いだし全員好き。 自分の相手の愚かなところも全部愛してる。 私はずっと矛盾を纏って生きていくんだと思う。 愚か。だが人間臭くて好き。 なんかポエミーになっちゃったね。
