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家がつらい少年少女たちの声

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gedokunは 家が辛い少年少女たち の声の場です

家庭・親子にまつわる話ではないかも

学校の悩みや、全く悩みではない投稿は削除される可能性があります。 (気持ちだけの投稿は消しませんが、多すぎると消えるかもしれません) 「死にたい」には死にトリ、 相談検索はいのちと暮らしの健康ナビ、 雑談はFeederとかがあります。 間違ってこの表示が出ていたらすみません。

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ムクドリ

よく父親に頭を殴られて当たり所が悪ければ脳震盪みたいなのでゲロ吐いたりしてた。父親は私に「自分を大切にしろ」とか言いながら殴ってきた。訳が分からなかった。祖父のお通夜前に泣いていたら父親に「悲劇のヒロインぶるな!早く学校行けよ!」と怒鳴られた。そこから父を人とも思えなくなった。私が楽しそうにしていたら何かと理由をつけて物を取り上げてゴミ箱の中に投げ捨てていた。返してもらっても生ゴミにまみれて使い物にならない事も多かった。「俺はアホなお母さんとは違って物を大切にするんだよ〜お前の物もちゃんと大切にしてあげてるだろ?」が口癖の人だった。矛盾点を指摘すると怒鳴られた。「お前らは口で言っても聞かないから家畜と同じだから叩いて躾ないといけない、どうして俺に殴らせるんだ」とよく言っていた。 自分の名前は虐待父の出来なかった音楽の夢を叶えろっていう意味しかない。名前くらい幸せを願われたかった。音楽のためなら何度も殴られたし蹴られたし髪を掴んで引きずられた。そのうち音楽がトラウマになりピアノの鍵盤や音でフラッシュバックして何気ないBGMにも反応するから一時期外に出る事すら出来なくなった。 母親は加担して殴るか、一転して子供を殴る夫を持った悲しい妻風にして喧嘩することもあった。行動に一貫性が無く気持ち悪かった。都合のいい時に抱きしめてきてされる度に凄くゾッとした。サイコパスだと思った。守ってくれた事はただの1度もなかった。両親ともにアホで一般的な慣用句すら知らず、子供が知らない言葉を使った時に2人とも「そんな言葉は無い」と罵っていた。類は友を呼ぶって本当なんだなとしみじみ思った。 今はフラッシュバックや鬱病などはあるけど何とか偏差値60前後の高校に合格して通う事が出来ている。でも今の自分は自傷とオーバードーズで成り立っていて受験の時もずっとそうしていてそのうち潰れないか怖い。この文章も市販薬を乱用しながら打っていてまともに書けているかも分からない。本当に消えてしまいたい。

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かきくけ

中学の頃、うつ病だった母親にストレスをぶつけられて虐待されてた。今は治って明るい家庭になれたと思うけど、まだトラウマというか記憶が消えない。20歳の今も火傷あとも残ってるし、たまに思いだしてしんどくなるのに、母親はなかったことにしてる。当時は訳も分からず殴られてたし、ちゃんとあの時の事話してほしい。でも顔見るだけで電話するだけですっっっっごい疲れるから話し合いもしたくない。

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azn

つらいのが当たり前だと思っていた自分の生活を「それはおかしい」と友達に指摘されて目が覚めたのが中学生の時。その時はじめて、自分が受けてきたのが《虐待》だと知った。でも、正直、それを知った後からの方がつらい。自分は《ふつうではない》とバレたらどうしよう、とずっと怯えている。親に感謝なんかできない、母の日も父の日もつらい、けどそう思っている自分を他人に見せてはいけない。自分が親からの愛を《貰ってない》と知られたら、引かれてしまうから。みんなが当たり前に貰ってるはずのものを、わたしは貰ってない。そんな話をしたら、ただそういう家に生まれたというだけで、ともだちをも傷つけてしまう。家でも仲間外れで、世間でも部外者の気分。それがつらい。きっとこれからも。

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ツナポケット

保育園生から小学校4,5年位まで親の意に反することをしたり言ったりすると「お前はうちの子じゃない!いらない!出てけ!」って言われて真冬だろうが真夏だろうが着の身着のまま外に放り出されてた。毒母が仕事から帰って来てからキレられる事が多かったので追い出されるのは大体夜だった。保育園生の時は祖母も同居してたので祖母にもやられた。祖母は途中で住み込みの仕事始めたから離脱したけど毒母はずっと一緒だったから小学生になっても続いた。ギャン泣きして「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝っても許してもらえなくて家に入れなくて「このままじゃ死ぬかもしれない」「これからどうしよう」って不安で仕方なかったのを鮮明に覚えてる。両手を掴まれて階段を引き摺り下ろされて脚を角にぶつけて等間隔の線状のアザが出来たこともある。それも3,4回位。これだけやられれば子供は捨てられる恐怖で親に従順になるだろうけど、こういうのは"躾"じゃなくてどこぞのミサイル国家がやってる"恐怖政治"と同じだと思う。

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なぁ

私の通ってた高校(偏差値50くらい)だけかもしれないけど卒業式の時に成績優秀者や活躍した部活を表彰する時間があった。私は得意科目(世界史)で点数を稼いで校内順位の上位にいたタイプなので受験で世界史を使わない学科に進学するつもりで勉強をしなくなったら一応ランキングには入ってるけど20位〜30位位まで順位が下がり、卒業式で表彰なんてされるはずがなかった。まぁ、そんなことは百も承知で受験勉強してたので私は別になんとも思ってなかったけど毒親共は違ったらしい。卒業式が終わってからずっっと「世界史をちゃんと勉強してたらあんたも表彰されてただろうに…」的なことを言われるし、「世界史が受験科目に入ってたらGMARCHくらいは行けてたんじゃない?」って延々と言われる。あんな難関校行けるわけないだろ馬鹿じゃないの?そこを目指して努力してた他の受験生に失礼すぎるでしょ。そもそも私は勉強したいことがあったから今の大学を受験して入学することを決めたんだ。何で「合格おめでとう」とか「頑張ったね」とか普通の人なら言えるであろう言葉が言えないの?何で文句ばっかり言うの?入学した大学が全国的に知名度があるわけでもないFラン大学だからですか?やっぱりこいつらにとって大事なのは子供の夢よりも世間対で、子供は親のアクセサリー感覚なんだろうな。って思った。ふざけんな。

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私がうまれてからずっと両親は仲が悪かったらしい。8歳くらいの時に気づいてたけど、実際に言われたのは中学生になってからだった。家族全員でご飯を食べることがあんまりなかった。夫婦が同じベッドで寝ている家庭はドラマにしか存在しないと思ってた。 わたしに知られてから開き直ったのか、中学と高校の間はずっと愚痴を聞かされていた。家の手伝いを「パパが怒鳴るからやって」とか「ママの機嫌が悪くなるからやって」という言い方で頼まれていた。親は子供で喧嘩するものなんだってさ。 あと、プライバシーがなかった。やっと与えてくれた部屋は常にふすま全開、ベッドに洗濯もの、中央に物干し竿。わたしがずっと1人部屋にいると不機嫌になる母親。父親は部屋を与えようとしてくれたけど、なんとかなったのは7年後だった。 ずっと一人暮らしすることだけが夢だった。両親を見てるから結婚も出産もしたいとは思えないなぁ。人に恋愛感情も持てない。これは両親のせいじゃなくて生まれつきかもしれないけれど。 今はちょっとマシになってるけど、どうしても親といるとその時の記憶を思い出してしまう。一人暮らしが具体性を帯び始めてから、あのときがなかったように振るまう親が怖い。配偶者が頼れないからって私に依存してくる所が怖い。 でも、私には優しくしてくれたことが多いから嫌いになりきれないし、縁を切ろうと思えない。友達にはもっとひどい親がたくさんいたから、私は結局甘えてるだけなんだと思う。家に住まわせてもらってるのに文句をいっている自分が1番嫌いだ。 死にたいとはあんまり思ったことはないけど、うまれてきたくなかったってずっと思ってた。私がいなけれぱ、両親は仲良かったんだろうなー。 最近なんとか仕事に就けたので、本気で家を出れるようにしたい。もうこれ以上両親のことも自分のことも嫌いになりたくない。 まだ頑張れる。経済的にも精神的にも自立した人間に絶対なってやる!

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ハリボー

自分が子どもにしてきたこと棚に上げて何が親孝行しろだよ。調子乗んな。どの口が言ってんだよ。

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ねこ屋敷

いつだったかにテレビで外国の女の子が「親は尊敬に値しない」て言ってて、それをタレント達は「おかしい」って言ってた。親には感謝しないといけないみたいな。そーゆー大人たまにいるけど僕の祖母とか、その考えがおかしい。なんで毒親なんかに感謝しないといけないの?むしろ毒親たちが僕たちに感謝してよ…。ぼく達頑張ってたんだよ。自分を犠牲にしてまでいい子にしてたんだよ?子供は誰だって甘えたいし、褒められたい。僕は大人になってちょっとたつけど子供の頃、ほとんど甘えれなかったし、褒められるよりも馬鹿にされてた。だから大人になってめっちゃ困ってる。だって大人になったら甘えれないじゃん…。結構つらいよ。過去を返して。

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野菜生活

小学生の頃、毒母に叱られるときは大体「親の言うことが聞けないような悪い子は少年院に入れるよ!そこでは名前なんて呼んでもらえないんだからな!番号で呼ばれるんだからな!」「親に嘘を吐くような悪い子はうちの子じゃない!」などの罵詈雑言を浴びせられてた。おかげで貴女の顔色を伺う能力が飛躍的にアップしましたよ。今でも毎日顔色伺って内心いつキレるかとガクブルしながら生活しなきゃいけないからそろそろ疲れた。死んでくれないかな。ほんと。

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とうもろこし

父の顔を見るたびにクソジジイ呼ばわりしてドアを家中に響く音で乱暴に閉める、普段あんたのわがままを聞いて言う通りにしてるのになんであんな仕打ちができる。 そして私に同意を求めてくるな、あんたに賛同する理由なんて一ミリもない。 父は何にも悪いことしてない、自分に矛先が向いてなくても気分悪い。

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なっちゃんおれんじ

家がしんどいって話をしたら、学校の先生に言われた。これは言葉の虐待だね、優しそうな親御さんが家であなたにそんなことしてると思わなかった、って。

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なっちゃんおれんじ

病気の薬代に凄くお金が掛かってるのはわかる。でもそれに対して「湯水のように私たちのお金を使わないで!」って怒るのはおかしくないか?

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トマト

ここでしか言えないこと 毒親よ、亡くなってくれてありがとう! せいせいした もう私を虐待する毒親はいなくなった あいつらのいない世の中はなかなか捨てたもんじゃないな

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えむ

毒親への憎しみで人生が縛られてる。 でも、直接毒親に話しても親は絶対認めない。 10年後、親の病気が分かったら、私があなたのせいで人生どれだけ苦しんだかを話して、絶対に介護も葬式もしない。いつか親が孤独に苦しみながら死んでいく姿を想像して、憂さ晴らしをしています。結婚しても子どもできても絶対に見せない。私だけ幸せになってやる。それが最大の復讐だと思ってるから。

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