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おくむら

2021 / 女性

遅かったけど

家庭状況や脱出の背景

当時は気づかなかったけど、親の精神疾患がずるずると悪化し、家庭の状況もそれに合わせて悪化していました。親は学歴コンプレックスもあり、私を有名大学に行かせたいという漠然とした強い理想がありました。弟が亡くなって、どうしようもなくなって、家を出ました。私たちに起きたことは変えられないけど、今悩んでる人に何かできないかなと思ってgedokunやnigerunoをつくりました。

今悩んでいる人へ

時間が解決することもある。この社会なんてどうしようもない、死にたい、そう思うかもしれないけど、そう思わせる環境にいるからかもしれません。とにかく逃げてください。そんなこと言われてもできないし、誰も助けてくれないと思うかもしれないけど、頑張らなきゃいけないときもあるんですよね。自分で手に入れた人生はきっと楽しいから。あと、親の精神疾患の有無は疑った方がいいです。

道のり

  1. 🧑‍🤝‍🧑

    依存先を増やす

    今思うと、親以外の大人との関わりが多かった

    小学生のころからスポーツチームに入っていたので、そこで過ごす時間が長かった。土日は練習があって、友達のお父さんやお母さんと接することが多く、今思うとたくさんのことを教えてもらった。親は成績以外は興味がなかったので、習い事は自由にさせてもらったのはラッキーだった。このときは親は寝てることが多かったので「放任だな」と思うくらいで、加害的なものはなかった。今思い返すと、夜はお酒を飲んで会社の愚痴をずっと言っていた。

  2. 🧑‍⚕️

    相談する

    NPOの無料相談×3

    美大に行きたかったけど、親は有名国立に行かせたかったので大バトル。進路の話というより私の人格否定が続く。NPOの無料電話相談2団体と、LINE相談1団体を使う。具体的なアドバイスはもらえず「勉強頑張ってて偉いね」「親はあなたのことを愛してるずだよ」と言われて、結局親の言うこと聞くしかないし、相談しても意味ないなと思う。(今はそんな団体も減ってることを祈るが!)

  3. 🧑‍🤝‍🧑

    依存先を増やす

    学校・音楽・自習室が居場所だった

    学校は部活中心に友達とたくさん遊んでいたし、公民館の自習室でよく勉強していた。音楽もよく聞いていた。親以外のガチャは恵まれていたと思う。

  4. 💬

    親に気持ちを伝える

    どれだけ伝えてもだめだった

    自分はデザイナーになりたいこと、今までやってきたことなどを、喧嘩・手紙・プレゼン、いろんな手を尽くしたけど無理だった。「xxx(放送禁止用語)」が続き、家族も誰も助けてくれず、家の中でも孤立した気持ちだった。私がいなくてもリビングでは私の悪口を言われ、物を散乱させられ、家の中は戦場だった。

  5. 📱

    情報収集をする

    親が許しそうな私が行きたい進路を探す

    どうやっても美大に進めなそうなので、親の許しがでそうな学校でデザインが学べそうな大学を探す。大学の学部がまとまってる資料を読んで、総合大学だけどデザインが学べるところを受験。親は大学名しか興味はなく、受験手続きなども全部自分でやっていたのでばれなかった。

  6. 👟

    家以外で時間を過ごす

    なるべく家に帰らない

    大学入学後に、デザイン系に進んでいるということに親が気づき、罵倒の日々は続く。次は学歴どうこうではなく、私が好きなことをやっているのが許せなかったのだと思う。家には親が寝た後に帰るようにしていた。大学も夜まで開いていたし、バイトもしていたので、遅く帰ることは大変ではなかった。

  7. 🚀

    家から逃げる

    親は変わらない、家を出る

    私が家に帰らなくなると、標的が弟になった。そして、弟は自殺した。死んでも親は反省する様子はなく、私や学校のせいにした。弟の亡骸と向き合ってるときに、親から頭を蹴られ「悲劇のヒロインぶりやがって」と言われ、「あ、もう本当にだめなんだな」と思い、家を出ることにした。バイトの貯金が数十万あったので、都内の安いシェアハウスに引っ越す。

  8. 📝

    親のことを知る

    親の過去や病気のこと

    家を出た後、一時期家から連絡がきていて、親のつらい過去や病気のことを聞いた。だからといって子どもに何してもいいわけじゃないし、同情はできなかった。そういえば親は精神科に偏見があって、私が小さい頃に通院を辞めていたことに気づいた。「なんで病院行かなかったんだよ」ということくらいしか今は親に対して思わないし、そもそも連絡もこない。

  9. 🧑‍🤝‍🧑

    依存先を増やす

    第3の家族の活動を始める

    今は、gedokunやnigerunoをつくり込んでいくことが楽しいし、来てくれる人たちには個人のエゴとしては本当に生きてほしいと思っているし、ここにいる人たちが生きたいと思える社会をつくりたくて活動している。世界には優しい人たちもいて、でもここにいる人たちを救う社会ではなくて。社会への怒りとものをつくる楽しさで今も生きている。

編集日:2025/05/04

#教育系

#親の精神疾患

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