#相談
白昼夢
きっかけとなる出来事がなくても、頭のすぐ傍にずっと死にたい気…
きっかけとなる出来事がなくても、頭のすぐ傍にずっと死にたい気持ちがあります。希死念慮と言えるほど具体的に死を想像しているわけではなくて、今後の苦しみから本当の意味で解放されるには死ぬしかないと思っています。 心のどこかでなんとなく「いざとなったら死ねばいい」と考えているため、日常に現実感がなく、周りが高校受験について考え始めた今もぼんやりと過ごしている状況です。生きやすいといえば生きやすいのですが、基本的にすべての事柄がどうでもよく思えてしまいます。 楽しくなければ怒りを感じることもなく、いつかくる苦痛から逃れるためにうっすらと死ぬことを考えながら過ごしています。小学生の頃は家庭環境のことで悩み、死にたいし生きたいけど生きたくないみたいな希死念慮に耐えるためにいろいろ試したりして、中学生になってしばらくした頃には自然とこうなっていました。落ちついたのか落ちついていないのか、よくわからないです。現在は精神系の疾患に偏見があり嫌悪感をもっている親から隠れてスクールカウンセリングを受けています。ですが、この考え方が変わる気配はないです。 わたしが困っている内容としては「日常に現実感がなく、進路や将来のことを言われても行動できない」「目先の努力しなければいけないことより、疲れないほうを優先してしまう」ことです。カウンセリングについても悩んでいて、このまま受け続けていても意味がなさそうだからやめるかどうか決めかねています。同じような方はいらっしゃるでしょうか。いたらぜひお話を伺いたいです。
運営 おくむら
スクールカウンセリング通ってて偉いですね。カウンセリングってすぐに効果が出ないことも多いのでもどかしいですが、継続に意味があるので、これからも続けてほしいなって思いました。
「しにたい」って、雑にいうと「やばい」に近いところがあると思います。
「やばい」っていろんな時に使いますよね。おいしいときも「やばい」、あせったときも「やばい」。
「しにたい」も、本当に命を断つことを考えていれば、他にいいかえられるときもあると思います。
「学校にいたくない」「休みたい」なのか、それは人それぞれですが、「しにたい」を別の言葉で置き換えてみると、そのもやは晴れるかもしれませんね。
みんなで一緒に言語化してこう。
涼音#ありす