#相談

匿名

自己嫌悪→自己嫌悪したら構ってもらえる→構ってちゃんな自分嫌…

自己嫌悪→自己嫌悪したら構ってもらえる→構ってちゃんな自分嫌い→自己嫌悪→自己嫌悪したら構ってもらえる→構ってちゃんな自分嫌い→… みたいになってます(分かりづらくてすみません)。自己嫌悪してる自分がうっすら好きなんだと思います。これやめたいです。どうすればいいですか?

運営 おくむら

粉末さんの考えもなるほどと思いました。ある意味、自分を好きになることも難しい人にとっては難しいので、自己肯定できてるのかもですね。

構ってちゃんになりやすいことを自覚できているのであれば別に自己嫌悪しててもいい気もしますが、とはいえ、それをやめたいんですよね。

「構ってほしい」というのが、ずっと満たしてほしいものとしてあるんですかね。

「自己嫌悪しなくても構ってもらえる」場所を探すと、別のところで満たされるかもしれません。

年上の人が多いコミュニティや(ネットとかじゃなくてできれば地域とかの)、ボランティアとか参加すると、年下はかわいがられることが多いと思います。

手札 - 生産者になる で、その気持ちを曲や絵にして褒めてもらえたら、承認欲求は満たされるかもしれません。

構ってもらえるのも才能ではあるので、構ってもらえる人がいるなら甘えてもいいとは思いますが(その人が押し潰されない程度に)。

参考までに。

粉末

私も、似たような思考のループに陥ったことがあります。 私の場合、すぐ泣く自分嫌い→自己嫌悪しちゃう自分嫌い→(髪を掻き乱す)→髪を掻き乱す自分嫌い→(握り拳に力が入る)→力が入ってる自分嫌い→…と、まるで自分の思考と行動をその瞬間に全否定してしまうような感じでした。 自己嫌悪してる自分がうっすら好きなのも、とても共感できます… 私的には、思考のループを抜け出すことはなかなか難しいけれど、そういう自分が好きなのは別にいいんじゃないかな、と思います。 「自己嫌悪してる自分がうっすら”好き”」ということは、ある意味すでに自己嫌悪とは真逆の「自己肯定」ができてるんじゃないかな、って 私も時々、自分が苦しんでいる事実に対して歪んだ満足感や特別感を少し感じることがあったんです。 でもそれが行き過ぎた時に、余計自分を悪い方向に追い込んでしまったり、どんどん深い闇に潜っていってしまう感覚もありました。同じように、やめたいと思うこともたくさんありましたね〜… もし、「構ってほしい」ことが原因なら、自己嫌悪する以外の構ってもらえる方法を見つけるとか、もしくは自分で自分を構ってあげるとかが良い抜け道かもしれないな、と思います。自己受容というか、自分を愛でるというか…自分で自分を構ってあげるなら、別にかまってちゃんでも全然問題ないと思うので。 あと、その「好き」の方向を自己嫌悪していない自分に向けるとか。難しいけれど、自己嫌悪や辛さを抜きにしたありのままの自分を好きになれたら、それはきっと立派な自己肯定だと思います。 ちなみに私は、自分を好きになることで自己嫌悪のループからも抜け出すことが出来ました。ちょっと危なさはあるかもしれないけれど、〇〇な自分かっこいい!と思うことで自分をとても好きになれましたね〜

関連する相談

運営へ送る

あなたの悩みや質問も、運営に送ってみませんか。

運営へ送る