運営
すべてみるネットを閉じることが安眠の近道(むずいけど)
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すべてみるネットを閉じることが安眠の近道(むずいけど)
名無し
#なんでも
引率の大人がいるんならしっかり指導しとけクソが!!!!!!!!階段いっぱいに広がって叫びながら他人の通行の邪魔してんじゃねえキチガイクソガキ!!!!!!!
くりあ
#なんでも
す・べ・て・が・め・ん・ど・い
史佳
#なんでも
つらい。悲しい。泣きたい。けど、泣けない。 なんで、私ってこんな性格悪いんだろう。 私、一学期はこんなんじゃなかった。 SとかAみたいなギャルが私たちを仲間はずれにし、バカにした時ぐらいからそういう癖が着いてしまった。 もう一度、入学式に戻りたい。
名無し
#なんでも
なんで勝手にスマホを見るのかが理解できない、 親の権利でスマホを除くことは大丈夫だということは知っているけど、子供にもプライバシーや尊厳があるのに。 見せられないようなことを話している訳でもないけど、 見られたくもない。 それに、「みたよ」でもなく、「パスワードつけちゃダメって言ったよね?」という言い方も腹が立つ。 言い返したくても言い返せない、親子は対等な関係であるべきだと思うのに
わんころ
#なんでも
明日部活、部活、部活、 ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ なんで、なんで、なんで、、、
捻くれてるけど、
#なんでも
態度が悪い、と親は詰め寄って怒りますが、そうやって子供相手に圧迫的に大きな声で怒鳴るような貴方はどうなのかと思います。 感情のコントロールという言葉がありますが、 たった十数年しか生きていない子供が、何十年生きている大人ができないようなことをできるわけないと思いませんか
史佳
#学校
なんか、学校行っても悪口しか言えない。 友達に「くさい」とか、「楽しくなかった」と言ってしまう。 つらい。 私、そんなこと言うはずじゃなかった。
メリー
#なんでも
傷付いた記憶でまた傷付くから 思い出して傷付くぶんまで 傷付けてきた奴のせいにさせてよ。 自己嫌悪に疲れた。
黄青@Kia
#なんでも
… ごめんなさい。 僕がいるだけで邪魔だったんだ うちがいると何も言わないんだ 親友と名乗る人さへ僕のことは知らない なのに親友なんて言わないでっ 期待しちゃうじゃん この人なら大丈夫って思って 過去、僕のこと、家庭のこと、性別のこと 全部受け入れて欲しいの 勘違いしちゃう もう関わらないでほしい でも僕を受け入れてくれた Tお前だけが救いだよ 受け入れてくれた けど、 現実はそう甘くはないんだ笑 「男と親友とかきも笑」 「ぶりっこ〜w」 「死ねw」 「ちょっと菌がうつるじゃんwww」 みんなの前では言わないくせに …Tにバレちゃった笑 悪口言われてること 守ってくれた嬉しかった 大好きだよ? ありがとう これからも親友として 「よろしくね」
🦊さん
#家族
親にいつも私ばっか怒られる 弟のことばっかり 私だけきつくあたられるのもう嫌だ😢
ゆんく
#なんでも
先輩と距離を置いた。 ガラが悪すぎる。 愚痴なら聞くけど、ずる賢くて強いところが嫌になった。 〇〇のライバルは作りたくないって、自分さえ良ければいいだけの人だった。すごくビジョンはいいこと言うけど口先だけ。 先輩は自分でもビッグマウスって言ってて、違和感あったけど本当に嫌になってしまった。
ゆり
#LGBTQ+
性的強迫神経症レズビアンのゆりです。 最近、書店に並ぶBLやGLの作品を目にするたび、漠然とした違和感を覚えることがあります。決して、それらのジャンルそのものを否定したいわけではないです。もちろん私自身もBLやGLに触れることがあるし、同性間の恋愛を題材としたフィクションを娯楽として享受すること自体に、殊更問題があるとも考えていません。 しかし、そこで描かれる「同性愛」と、現実社会においてゲイやレズビアンとして生きる人々の「同性愛」とを、ほとんど同義のものとして捉える風潮には、どうにも馴染めないと感じる今日この頃です。 とりわけ気になるのは、現実の人間が自身の性的指向についてカミングアウトした際に、「私、腐女子だからむしろ好きだよ」「私もGLが好きだから大丈夫」といった反応が返されることです。 おそらく、発言する側に悪意はなでしょうし、むしろ「あなたを否定しない」という意思表示なのかもしれません。しかし、その言葉の構造を考えてみると、そこにはある種の倒錯が生じているように思います。 カミングアウトとは、本来、その人自身の属性や経験、あるいは社会の中で抱えてきた葛藤を含む、極めて個人的な自己開示である。それに対して「BLが好きだから」「GLが好きだから」という応答をしてしまうと、当事者の性的指向が、語り手にとって既知の「娯楽ジャンル」のカテゴリーへと回収されてしまうのではないかと考えています。 つまり、生身の人間の属性が、フィクション上の表象と同じ地平に置かれてしまうということです。 もちろん、BLやGLというジャンルが同性愛の表象と無関係だと言いたいわけではありません。むしろ、それらは長年にわたって同性間の親密さや欲望を描いてきた重要な文化表現の一つで、尊重すべきだと思います。また、当事者がそうした作品に自身の経験を重ねたり、自己理解の契機として受容したりすることもあるだろうと考えます。 それでもなお、「同性愛を題材とした表象」と「同性愛者として生きるという実存」は、峻別されるべきではないかと思いました。 フィクションにおける同性間の恋愛は、読者にとって「萌え」や物語的快楽を成立させるために構成されたものであるため、そこでは現実には存在しないほど都合のよい関係性が成立することもあれば、社会的制約や差別、家族関係、自己認識の揺らぎといった現実の複雑さが意図的に捨象されることもあります。それはフィクションとして当然のことであり、だからこそ私は、それを現実の同性愛そのものと同一視することには慎重でありたいです。 「BLを好むことと、ゲイという属性を持つ人間を理解することは同じではない。同様にGLを好むことと、レズビアンとして生きる人の経験を理解することも同じではない。」 表象を消費することと、その表象によって表現されている人々の現実を理解することの間には、決して自明ではない隔たりがあると私は考えています。 そして私は、その隔たりを無視して「BLが好きだから同性愛にも理解がある」と語ることに、ある種の「当事者性の娯楽化」を感じてしまうのです。 同性愛を題材とした作品を楽しむことは、もちろん自由であるが、同時に、現実の同性愛者が、自らの性的指向を娯楽作品の文脈から切り離して扱ってほしいと望むこともまた、尊重されるべきでしょう。 結局のところ、私が違和感を抱いているのはBLやGLというジャンルそのものではなく、フィクションにおいて消費される「同性愛」と、現実を生きる人間の「同性愛」との境界が、あまりにも容易に曖昧にされてしまうことなのだと思います。 また拙い長文失礼しました、共感してくれる人が少しでもいればいいな、と思います。
ふにゃわ
#なんでも
学タブを置いて帰れと言われ、中身を勝手に見られ 家タブは自由につかえなくされ 居場所がない
みあ
#なんでも
孤独 消毒 心は拘束 既読 未読 期待は不足 幸福 反復 感情は窮屈 結局 終局 今日も憂鬱 会いたい 曖昧 愛はもうない 泣きたい 期待 未来も見えない 笑いたい 騙したい 自分を誤魔化したい
異世界に行きたい
#なんでも
この大雨で塾休みにならんかな、いっそのこと河が氾濫すればいいのに。せめてもっと降ってほしいな。
ひとでなし
#なんでも
愛を愛と受け取れない
ひとでなし
#なんでも
体調崩しちゃった。 しんどいなぁぁぁ......。
おむもぐ
#家族
夫婦仲ちょっと悪いだけでなんでこんな悩まなきゃいけないんだ
のえ
#なんでも
恋愛系とか結構好きだしさ。ラブソングもこんなふうなことしてみたいとか思うけど。 きもいって言われそうで。ほんとの私じゃないのを作ってるとこがある
のえ
#なんでも
塾の最後の宿題やってない。あーもうなんでやめられないのタブレット
申し込み不要、初見歓迎、誰でも歓迎。ゆるめにやります。運営もドタキャンすることあります。

どうしようもないは、大丈夫に変えられる。

gedokunを使ってくれていた人で寄付してくれた人。